2024年度から流通が始まる新しい1万円札の印刷が1日に始まった。肖像画には「近代日本経済の父」と呼ばれ、いまNHKの大河ドラマの主人公でもある渋沢栄一が描かれている。5千円札には津田塾大学の創始者である津田梅子、千円札には近代日本医学の父」といわれる北里柴三郎が採用され、いずれも2024年度の上半期から流通する予定となっている(TBS NEWS)
前回の1万円札の新札の発行は2004年11月にE号券と呼ばれる福澤諭吉の肖像画の第二弾であった。福澤諭吉の肖像画の第一弾となるD号券は1984年11月に発行が開始された。それ以前は聖徳太子が肖像画となっているものでC号券と呼ばれるものが1958年12月に発行されている。
1万円札そのものが発行されたのが1958年であった。個人的なことだが、この年に私は生まれている。当時の1万円はかなりの高額紙幣であり、父親が給与に1万円札が入っていたのを珍しがっていたような記憶がある。
その初代1万円札の聖徳太子の時期は26年となっていたが、福澤諭吉の肖像画の第一弾となるD号券からは20年おきに新札が発行されている。これは肖像などを彫り込む技術を次世代に継承させる必要があることや、あらたな偽造防止技術を組み入れるためとされている。また、新札の印刷開始から発行までの期間を設けているのは、ATMや自動券売機などお札を使う機械で対応できるようにするためとされている。
聖徳太子の初代1万円札が発行された1958年頃はまさに高度成長期。国際通貨基金や国際復興開発銀行などの組織を中心したブレトン・ウッズ体制のもと、1955年あたりから日本経済は高度経済成長の波に乗り、好景気が1964年まで続いた。その期間の中でも、1955年から1957年にかけて、日本は神武景気と呼ばれた大型景気を迎えたのである。その後、なべ底景気と言われる景気減速を経て、1959年あたりから再び景気が上向き、今度は岩戸景気と呼ばれた好景気が続いた。投資が投資を呼ぶとも言われ、設備投資が景気を引っ張り上げていったのである。
そして福澤諭吉に肖像画が変わった1984年以降、金融市場に動きがあった。1985年のプラザ合意などをきっかけに、急激な円高とともにバブルが発生する。1985年の銀行によるフルディーリングの開始や同年10月の債券先物の上場をきっかけに、デリバティブ取引も盛んになり、金融新時代を迎えることになる。まさに1万円札があちらこちらに飛び交う時代となった。
しかし、そのバブルも崩壊し、宴は終了する。2004年11月にE号券と呼ばれる福澤諭吉の肖像画の第二弾が発行されたが、その後、世界の危機に日本も翻弄されることになる。サブプライム・ショック、リーマン・ショック、欧州の信用不安、そして新型コロナウイルスの世界的な感染拡大と。
2024年からの世界はどう変わるのかは予想が付かない。新札をきっかけに経済が変わるというよりも、新札が出たあたりから経済を取り巻く状況が変化してきていることは確かであろう。「近代日本経済の父」と呼ばれた渋沢栄一だけに、日本経済に新風を起こしてくれるかもしれない。
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