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Friday, July 17, 2020

「財政は目的でなく手段」の忘却が招く経済危機 - 東洋経済オンライン

プラグマティズムで「均衡ドグマ」から脱却を

1970年4月、参院予算委で意見を述べる下村治氏。下村は一流の論客でもあった(写真:共同通信)

日本経済学新論渋沢栄一から下村治まで』を上梓した中野剛志氏が寄稿した一連の記事(「石橋湛山と下村治の慧眼に学ぶ『積極財政』論」「コロナ危機に下村治が再評価されるべき理由」)について、宮川努・学習院大学教授から「下村治」像をめぐって異論が提示された。本稿では、その異論に応え、さらに下村について論じる。

下村の「積極財政の部分のみ」を強調した理由

下村治は、戦後日本を代表する経済理論家であるだけでなく、数々の論争を繰り広げた一流の論客でもあった。

その下村について、東洋経済オンライン(「石橋湛山と下村治の慧眼に学ぶ『積極財政』論」「コロナ危機に下村治が再評価されるべき理由」)で書いたところ、宮川努・学習院大学教授から、「東洋経済オンラインにおける中野氏は下村氏の一面しか見ていないように、筆者には思える」との批判を受けた(「『下村治は積極財政の支持者』論に覚える違和感」)。

そこで、論争を恐れなかった下村に倣って、宮川教授の批判に応えようと思う。この宮川教授との論争を通じて、下村の真の姿がより明らかになるだろう。

反論すべき点はいくつもあるが、紙幅の関係から、ここでは論点を2つに絞りたい。

まず、宮川教授は、下村が第1次石油危機後に「ゼロ成長論」を論じたことを指摘し、「当然のことながらこの『ゼロ成長論』には、政府が財政節度を維持することも含まれる。財政節度とは均衡財政を目指すことにほかならない」と主張している。

ところが、拙稿が下村の積極財政論に光を当てたものであったため、宮川教授は「下村の一面しか見ていない」と批判したうえで、こう述べる。

「実は中野氏は、近著の『日本経済学新論』(ちくま新書)(以下『新論』と呼ぶ)の中で、第1次石油危機後の下村氏の議論についてほぼ同様のことを述べられている。もしその理解を進めて下村氏の議論に倣うならば、それは積極財政ではなく財政規律の維持であろう。中野氏が『新論』で、下村氏の議論の変遷を丁寧にたどっておられながら、なぜ積極財政の部分だけを東洋経済オンラインで強調されるのかについては、きちんとした説明が必要だろう」

しかし、確認していただきたいが、筆者は拙稿の中で、すでに「きちんとした説明」をしておいたはずだ。

それは、拙稿が「財政赤字を拡大するとインフレを制御できなくなる」という見解を批判する目的で書かれ、そのために下村治を参照した論考だということだ。

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