※本文中の引用は、『絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか』アビジット・V・バナジー、エステル・デュフロ:著 村井章子:訳〈日本経済新聞出版〉より。

ジョン・キャシディ

1995年から『ニューヨーカー』誌でスタッフ・ライターを務めている。これまでに2度の大統領選挙を扱ったほか、トランプ政権について詳細な記事を書いた。著書に『How Markets Fail: The Logic of Economic Calamities』、『Dot.Con: How America Lost Its Mind and Money in the Internet Era』。1984年にオックスフォード大学を、86年にはコロンビア大学ジャーナリズム大学院を卒業。ウェスト・ヨークシャー州リーズ育ち。

1930年、英国人経済学者のジョン・メイナード・ケインズは、それまで戦間期における経済の問題について執筆していたのを一休みして、ちょっとした未来学に熱中した。彼は『経済学者、未来を語る:新「わが孫たちの経済的可能性」』というエッセイで、2030年までに、資本投資と技術の進歩によって生活水準は8倍も高くなり、社会が豊かになって、人々は週にたった15時間だけ働き、残りの時間をレジャーなどの『非経済的な目的』に費やすようになるだろう、と推測した。彼の予想では、豊かさの追求が衰えていくなかで、「所有物として金銭を愛することは……そのありのままの姿、すなわち幾分不快で病的なものだと見なされるようになる」という。

この変化はまだ起きていない。経済政策の立案者のほとんどは、いまだに経済成長率を最大限に高めることに力を注いでいる。しかし、ケインズの予想はまったくの的外れというわけではなかった。米国の1人当たりのGDPが100年間で6倍以上に成長して以降、さらに多くのモノを生産・消費することの実現可能性や賢明さを巡る活発な議論が、何年にもわたって巻き起こっている。

左翼では、気候変動などの環境的な脅威に対する危機感が高まったことで、先進国にGDPの成長をゼロまたはマイナスにさえするよう求める「脱成長」の動きが生まれた。バルセロナ自治大学の生態経済学者であるギオルゴス・カリスは、『Degrowth(仮訳 脱成長)』という声明のなかで、「モノを生産・消費するスピードが速ければ速いほど、環境へのダメージは大きくなる。これを両立するのは不可能だ。人類が地球の生命維持システムを破壊したくないのなら、世界の経済はスローダウンしなければならない」と書いている。チェコ系カナダ人の環境科学者ヴァーツラフ・スミルは著書『Growth: From Microorganisms to Megacities(仮訳 成長:微生物から巨大都市まで)』で、経済学者たちは「文明と生物圏の相乗的な機能」を理解していないにもかかわらず、「国家や企業の決断の指針となっている、継続的成長という物理的に不可能な物語を、独占的に提示し続けている」と嘆いている。

非主流派の間に限っていえば、経済成長に対する環境面からの批判は、すでに広く注目を集めている。2019年9月に開かれた気候変動に関する国連サミットでは、10代のスウェーデン人環境活動家グレタ・トゥーンベリが、「わたしたちは大量絶滅の始まりにいるのに、あなたたちが話すのはお金のことと、永遠の経済成長というおとぎ話だけ。よくもそんなことができますね」と演説した。

未来のための金曜日
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グレタ・トゥーンベリが、気候変動に対する政府の無策に抗議するために始めた学校ストライキは、SNSによって瞬く間に世界に拡散された。いま目の前で起こっている気候変動と一生を過ごすのは、まぎれもなく彼女たちの世代なのだ。>>本文を読む

脱成長を専門に扱う学術雑誌や会議もある。脱成長支持者には、化石燃料業界だけでなく、世界的資本主義全体を廃止することに賛成する人もいれば、利益を得るための生産は続くが、経済はいままでとはまったく違う方向に再編されるという、「成長後の資本主義(post-growth capitalism)」を構想する人もいる。英国のサリー大学で持続可能な開発の教授を務めているティム・ジャクソンは、多大な影響を与えた著書『Prosperity Without Growth: Foundations for the Economy of Tomorrow(仮訳 成長なき繁栄:明日の経済のための基盤)』のなかで、西洋諸国に対し、経済を大量生産のモデルから、看護・介護や教育、手工業といった、資源集約度を低くできるような地域サーヴィスに移行するよう呼びかけている。ジャクソンはこのような変化に伴うであろう社会的価値観や生産パターンの変化の規模を甘く見ているわけではないが、「より多くの物を永遠に山のように生産し続けたりしなくても、人々が繁栄することはできる。いままでと違う世界は、実現可能だ」と、楽観的な意見を述べている。